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心筋梗塞になりました

こんにちは。
LifeTraverseチーフコーチの黒岩です。
ブログを読んでいただき
ありがとうございます。

突然ですが、私、
心筋梗塞を発症しました。

幸いにも症状は軽度です。

今年50歳で、
あらゆるリスク因子を
持っていない私が
なぜ発症したのか。

想定外の苦しみや痛みは、
今後生きていくうえで
どのような意味を持つのか。

少し長いですが、
心筋梗塞になったばかりの
生声を聴いてみてください。

痛みはゆっくり忍び寄る

はじまりは、仕事の面談中。
胸の奥から鈍く響くような
痛みが、徐々にやってきました。

辛いですが、
しゃべることも可能だし、
動けます。

でも痛みはそれなりにあるので、
できればじっとしていたい。

痛みには強弱があり、
一番重い時は
歩くのもつらい状態でしたが、
1時間ほどすると治ります。

これが二日間に数回発生しました。

辛くない時間の方が
圧倒的に長いのですが、
さすがに気持ちわるい。

すぐに医療機関で受診し、
血液検査・レントゲン・心電図・
MRI・CT検査をするも
原因がわからず。

その後、
ミュージカルのワークショップで
激しく歌ったり踊ったり、
600メールほどの雪山に登ったり、
トレッドミルで傾斜つけて
走ったりしましたが、
その都度胸痛の症状がでました。
痛くて動けない時間帯もありました。

症状が改善しないため、
地域の基幹病院へ行ってみます。
初めての発症から3週間後です。

紹介状を渡すと、
看護師さんから
怒涛の検査ラインナップを
宣告されました。

この後仕事も控えていたため、
その検査を断ろうかどうか
迷いました。

つまりこの時は、
自分の症状に対して
そのくらいの軽い気持ち
だったのです。

看護師からは
すぐに受けた方が良いと
強く言われました。

マジか?

血液採取中、
わざわざ外来のドクターが
やってきて声かけてきます。

「ちゃんと検査しましょう。
診察室で待っています」と。

外来患者でパンクしている
午前の大病院で、
こんなこと普通はありません。

そして次の心電図検査で
一気に様相が変わりました。

波長に異変を感じた技師さんが
すぐにドクターに電話。
「数値が異常です。
このまま続けてよいですか?」

私「?」
いままで検査で異常なかったのに?

救急対応とか、
ストレッチャーとか、
物騒なワードが
飛び交いはじめました。

私はただひたすら「???」

そっからは
ジェットコースターのようでした。

自分で歩くことも禁止で、
車いすとストレッチャーで
運ばれます。

外来診察室で
ポータブルレントゲンをとり、
そこから救急へ搬送。

この日は胸痛の症状もなく、
体調は正常です。

なので、
今自分に起こっている現状を
不思議な感覚で眺めています。

意識と実態が遊離しているような。

ドクター曰く、
「よくこのタイミングで
ここにたどり着きましたね。
黒岩さん、ラッキーですよ」

こちらは拘束され、
自分で歩いてはいけない状態を
ラッキーと思えるほど、
まだ気持ちの整理がついてません。

しかも、
その直後に起こる現実は、
アンラッキーとしか
形容できない体験でした。

心臓カテーテルという検査。
手首の血管に穴をあけて管をいれ、
心臓付近まで貫通。

そこから、
血管内に造影剤をまいて、
血管と心臓の状態を
X線でつぶさに観察する技術。

これ、
どこの病院も普通に行われている
検査らしいですが、
私は知りませんでした。

そんなおどろおどろしい処置が
医療機関にはびこっているとは。

あとで血管にいれる管をみましたが、
2㎜と結構太い。先端にはカメラ。

まずは救命救急室のベッドに
運ばれ検査前の準備。

まな板の上の鯉。

若い男性看護師は
おもむろに私の下着を脱がし、
陰毛をバリカンで剃り、
オムツをはかせました。

私にとってはすべて初体験。
この間3分程度。
自分が守ってきた大切な何かが
一瞬で崩されるような絶望感。

貞節、という言葉がよぎりました。

そして極め付けは、
尿道に突っ込まれたホース。

痛い!

瞬間、
それまでなかった尿意をもよおし、
自然とホースに尿が
流れ込み始めます。
自分の意志で止めることができず
垂れ流しです。

それを人前にさらされる。
これは凌辱?

検査中はトイレに行けないから
ということらしいですが、
とにかく痛い。
ハズイ。
すぐにでも外してほしい。

人間の尊厳はどこ?

「命が大事だよね?
命の前では尊厳とか邪魔だよね?」
と誰かがささやいてくれたら、
もっと前向きな気持ちで
鯉になれたのでしょうか。

そして、
心臓カテーテル検査室へ。

医師二人含めた
10人以上のスタッフが
私のために手を動かしてくれている。

この処置についても、
感情を大きく揺さぶられる
体験をいくつもしたのですが、
長くなるので詳細については
別稿で書きます。

この検査については、
要はレントゲンの
動画版と考えてもらうと
わかりやすかもしれません。

心臓や血管の動きがリアルに、
モニターに映像で映し出されます。

検査結果もその場でわかります。

血管も心臓もキレイで
良く動いているとのこと。

特に3本の冠状動脈は全く問題なし。

ただ、冠状動脈からはずれた
支脈の入り口に
心筋梗塞の跡がみられるとのこと。

映像見せてもらいましたが、
確かにそこだけうっすらと
白くなってる気がする。

でも良くわからない、
というのが正直なところ。

結局、4日後にもう一度
カテーテル検査をやって経過を見て、
原因を突き止める
ということになりました。

尿道ホースだけは、断固拒否しました。

それから三日間入院して、
投薬と点滴。

そして4日後の再検査では、
プラークと呼ばれる
油の膜が破裂した後がみられ、
正式に心筋梗塞として
診断されました。

苦しむことと生きることの意味

今回、私は心筋梗塞を起こす
リスク因子を持っていませんでした。

高血圧、糖尿病、喫煙、家族歴、
肥満、高コレステロール、
高齢などの数値データに問題はなく、
リスク要因が一つもないのです。

さらに定期的に運動をしていたので、
健康には自信がありました。

そして年齢も若い。

それでも
心筋梗塞を発症したという、
稀なケース。

であるならば、
様々な疑問がもたげてきます。

なぜこのタイミングで、
この私が、
稀なケースに遭遇したのか?

そして、遭遇した後、症状が軽く
大事に至らなかったのはなぜか?

たまたま蘇生可能なタイミングで
医療機関にかかることができて、
死亡リスクを抑えられたのはなぜか?

起こったことは
「アンラッキー」かもしれないが、
生き延びたのは「ラッキー」。

このラッキーな生と、
アンラッキーな死の間に、
どんな分岐点があったのか。

これまで五体満足に生きて、
家族や友人に恵まれた人生は
ラッキーすぎたのか?

そもそも幸せって、
バランス論で語られるものなのか。

そんな問いと対峙している時に、
入院中病床で読んでいたのが
ヴィクトール・E・フランクルの
『夜と霧』です。

崇高な魂を持ち続けるための処方箋『夜と霧』

『夜と霧』は
ナチスのアウシュヴィッツ収容所を
奇跡的に生き延びた
心理学者にによる、
渾身のルポルタージュです。

人類史上最悪の民族浄化計画。
その内実を描き切った本書には
しかし、
絶望的な中でも
精神の自由は奪われまいと、
誇り高く生きる被収容者が
登場します。

作者のフランクルも、
そのうちの一人です。

今回の私の体験は、
この作者の極限の辛苦には
及ぶべくもないし、
比較すること自体が
崇高な魂への冒涜かもしれません。

しかし入院中病室で拘束され、
あらゆる検査・治療ツールに繋がれ、
もしかしたら
命を落とすかもしれないという
シチュエーションは、
程度の差こそあれ
同じ状況と言えなくもありません。

そんな状態の自分に、
フランクルは
たくさんの言葉の塊を
投げこんできます。


(以下、引用)

本当に恐れるのは、
「苦しみに値しない自分」
であること。

生き延びることだけを求めるのは、
運命にゆだねている点で
すでに自由を放棄している。

今この苦痛に、
どんな意味があるのか?

私たちが生きることに
何を期待するのかではなく、
生きることが私たちから
なにを期待しているかを
問い続けろ。

生きる意味を自覚した人間は、
生きることから降りられない。

人間とは、
ガス室を発明した存在だ。
しかし同時に、
ガス室に入っても毅然として
祈りの言葉を口にする存在でもある。

(引用終わり)

言葉のひとつひとつが、
初めて読んだ学生時代とは
まったく違う響きで迫ってきます。

重すぎて、消化しきれません。

いや、消化するなど、
そもそもがおこがましい。

強烈な紫外線を受けて
皮膚にシミが残るような、
そんな摩擦的化学的反応。

この本の本質的なメッセージを、
頭ではなく皮膚感覚で
感じることができたこと。

私に起こり始めた苦痛と、
まだ死んでいない意味の
ヒントがそこにある気がします。

心筋梗塞になったからといって、
生きる意味が
急に降ってくるわけではありません。

死を含めた、
生きることトータルについて、
問いを置き続けること。

今は、
そのきっかけをもらえたのだと、
考えるようにしています。

私の闘病メモは、
今後もこのブログで
更新していきます。

会社をやめ、
故郷に移住して2年。

この間目まぐるしい変化を
楽しんできましたが、
人生の本当の第二幕は、
ここから始まるのかもしれません。

しばらくは、
大好きなトレイルランニングや
バックカントリースキーなど
激しい運動は難しいかもしれない。

でも、100マイルも階段も、
あきらめるつもりはありません。

生きることが、
自分に何を期待しているのか。

自分は、
苦痛に値する人間なのか。

逃げずに考えていきます。

and, the trail continues.

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photo by TAKAO JINBO